わわわわーるどこん。 |
というわけで、怒濤の日々のなか、必死で休みをとって アジア初! もちろん日本初! 世界SF大会!( ミステリも幻想文学もファンタジーも世界大会なんてないぞー)に参加してきました。 相方kappaが某大学SFサークル会長だったし、サークル仲間にも呼びかけたのですが、会場で会ったのは、いつもの方々ばかり(笑) もちろん、新しい出会いもたくさんありました! ワールドコンは、その土地の名前をもじって大会名がつけられるのですが(日本でも大阪で開催されるのはDAICON=ダイコンです)、今回は初の日本開催ということで、わかりやすく?か 「ワールドコン2007in JAPAN」。 世界からの参加者は約1,000人! 日本の参加者は約1,500人!だったそうです。 これは事前の参加登録メンバーの数なので、これだけの人間が世界からやってきたんですね。 会場のパシフィコ横浜は、まるで外国に来たみたいでした。 どっちをむいても英語が飛び交う、なんともインターナショナルな雰囲気です。 しかし、その単語を聞くと、なんとなーくオタクの香りが漂うのです(笑) ワールドコンには、ゲスト・オブ・オナー(名誉ゲスト)が招かれますが、今回は、日本のSFといえばのお二人小松左京氏と日本SFファンダムの長老、柴野巧美氏が招かれていました。 それから天野嘉孝氏。 海外からはディビッド・ブリン氏とマイケル・ウィラン氏。 まずは、初日のゲストたち公式記者会見にもぐりこんだそのレポから。(以下敬称略です) ゲスト・オブ・オナーのうち、小松左京、ディビッド・ブリン、天野嘉孝の三氏が来場。 記者会見は普通の会議室で、報道関係者がそれぞれ場所とりしていましたけれど、席がぽつぽつあいていました。 この初日に、これまた初めてお会いしたラッコ庵さんと「席座っていいですよね?」と確認しあって(笑)ちゃっかり前のほうに座ってしまったわたしたち。 メモも何も用意していなかったので、記憶だけを頼りにレポしますと・・ まずは、井上実行委員長(Chairman)から小松左京、ディヴィッド・ブリン、天野嘉孝を紹介。 柴野拓美到着を待って、記者会見スタート。 小松左京は、 「日本でワールドコン開会はすばらしいことだ。柴野さん、矢野さんらの古くからのSFファン先達の力が大きかった」 と話し、その後何故SFなのか?という(ある意味究極の質問?)には、 「僕は、まずイタリア文学、ダンテ『神曲』を研究した。ダンテは中世の人間だが、『神曲』のなかで、地獄は噴火口の下へと堕ちて行くものと表現した。 中世にはまだ重力というものは認識されていないのに、ダンテは詩人の直観でこういう表現を作り上げた。」 と回答しました。 ディヴィッド・ブリンといえば、『スタータイド・ライジング』ほか「知性化シリーズ」が人気の作家です。 まさに知性のカタマリのようなプロット、アイデアを持っている作家。 英語もわかりやすく、とても印象的な話でした。 「日本の前に中国成都のSFコンヴェンションに家族と一緒に参加してきました。 (ヘンな外人だから と自分のことを何度も言います。これはクロージングの時までネタになりました 笑) 約5千人の若者が集まって大変熱心でした。しかし中国ではSFはジュブナイルのジャンルとみなされている。SFを学ぶコースは大学院の児童文学の中でだけ。 SFは児童文学だけではない。 文学である。 それも、普通の文学、小説との違いは大きい。 普通の小説(文芸作品)の地平線はとても狭いく、物語の運びもキャラクターの変化も小さい。 SFは、アインシュタインがいったように「前頭葉で人間が思索すること」に尽きます。 どんなアイデアも考えることができるし、その地平線(ホライズン)ははるか遠くをみはるかすことができる。 それは可能性の探求です。(Possibilitey exploror) また、善き未来を選びとる力でもあります。 今、自分が50年前からやってきて現在を見たら、女性のファッションにだって吃驚するでしょう?それと同じく、50年後の社会をどうしたいかを想像するとき、善い未来の方向を考えることでしょう。」 すごく感動しました。 といっても、私の解釈が間違っている可能性大ですが(爆) また、彼の作品『ポストマン』映画化のことについては・・・ 「映画化はまったくベツモノです。私の作品(ポストマン)もケヴィン・コスナーに映画化されました。彼(コスナー)はとても大きな(寛大?偉大?)心を持っていて、美しいフィルムをとるけれど脳みそはからっぽ(爆)だった。」 big heart, beautiful film,no brain とのたまわりました。 これを通訳の方が聞きなおしたので、二度もno brain を繰り返すことに・・・(苦笑) 柴野拓美は、開催の感激でいっぱいのようでした。 「2度ほど日本開催が計画され、立ち消えたが、今回井上委員長のおかげで実現を見ました。 たくさんの人の努力と協力とが実を結んだけれど、最もお礼を言いたいのはアメリカのファンダ ムの皆さんに。 68年に招待されてからずっと日本のファンダムの応援してきてくれました。 今回もアメリカから大勢のスタッフが来日してきてくれています。大会中にぜひ感謝の気持ちを参加者全員に伝えたいと思います。」 と、繰り返し西海岸のファンへの感謝を述べ、SFとは?の質問には 「SFの開祖、というとき、ポーをあげたい。ミステリという枠にとどまらず、幻想小説という想像力によるジャンルを開拓したのは彼だから。」 と付け加えていました。 さて、天野嘉孝も面白い挨拶をしてくれました。 「遠来の方々にも、横浜のよさ、日本のよさを知ってもらい、楽しんでもらいたい。 温泉もあります(笑)」 一人ずつの挨拶の後、和やかなやりとりがあって、特に柴野拓美が 「私はもう80で、来年81、仕事は若い人たちがやってくれるので嬉しい。」 といえば、小松左京が 「私は76だが、アーサー・C・クラークは94で元気で書いてる。SFなんて空想小説、子どもだましと言われてきたのに、この年でSFを書いて食べていけるなんて幸せですねえ、柴野さん」」 と返すシーンもありました。 この部分だけが、何故か産経、読売にコメントとして掲載されてます。 何ででしょう?? このアーサー・c・クラークを通訳の方が聞き間違えるハプニングがあり、 「朝日クラブですか?」 と聞き返した瞬間、 小松、ブリン、小松秘書の方全員が「アーサー・C・クラーク!」 と一致団結して答えたのには笑ってしまいました。 なおかつ、ブリンは 「サー、アーサー・C・クラーク。私はアメリカ人だから関係ないけどね(笑)」 とオチャメ発言も。 そして、さらに 「ジャック・ウィリアムソンは100歳まで書いてましたよ!(小松さんも柴野さんも)まだまだ!」 というエールが、日本の長老たちに贈られたのでした。 |
by crann
| 2007-09-08 02:02
| exccetera・いろいろ
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