S*e*x*t*a*n*s 好奇心のコンパス
2017-12-24T10:23:08+09:00
crann
S*e*x*t*a*n*s は 獅子座の隣にある六分儀座。航海者必須アイテムの六分儀で好奇心の方位をみつけていきます。音楽と映画と本と、その他おもいついたことを徒然に書き留めています。コメントどうぞ。
Excite Blog
Tolkien Advent ゆきて帰りし物語
http://crann.exblog.jp/238108820/
2017-12-23T22:49:00+09:00
2017-12-24T10:23:08+09:00
2017-12-23T22:49:54+09:00
crann
luccicare・えるべれす!
束人にはもちろん、『指輪物語』『ホビットの冒険』の翻訳者として、ほとんどの日本語でのトールキン読者がお世話になったと思います。
いろいろな方面に不勉強な私ですし、もうすでに多くの方々に語られているだろうし、周知のことであるとは思いますが、このアドヴェントの記念として綴ります。
(瀬田貞二さんを先生とよぶにはおこがましいし、呼び捨てもできませんので、あえて氏としました<(_ _)>
瀬田貞二氏は、大学では国文科、芭蕉を研究したといわれていますし、俳句誌『萬緑(ばんりょく)』が中村草田男氏によって創刊されたときの、初代編集長となりました。
(興味のある方は検索してみてください。)
瀬田氏にとって「ことば」を自在に選び、構成することは、楽しくやりがいのある仕事だったと思います。
さて、私たちにとって一番慣れ親しんでいる、あのタイトル、瀬田氏はなぜあの言葉を選んだのでしょうか。
The Hobbit,There and back again.
これを『ホビットの冒険 ゆきて帰りし物語』としたはなぜだったのか。
There and back again は、そのまま訳すと「そこの再び」「往復で」また「とんぼ帰り」の意味に使うこともあるようです。
『ホビット~』の内容から、トールキンは There and back againを「往復」「行ってきたよ、帰ってきたよ」と使ったのだとわかります。
瀬田氏も、もちろん全体の流れから、このタイトルとしたのでしょう。
しかし、「ゆきて」「帰りし」ということばを選んだわけは、瀬田氏の考えていた児童文学のあり方や、物語の本質に根ざしている気がします。
まず、「面白い物語(民話、童話を含めて)では、主人公は必ず『行って』『帰って』くる」ということ。
この往還の法則は、主人公が自分のテリトリーから外へ出て再び戻ってくるということです。
トールキンももちろん、往還する物語、物語の王道として There and back again を副題にしたのでしょう。
往還する物語は、往還のなかに、時空間的捉え方をすることができます。
ビルボが、フロドが往還することで、物語のなかで空間(ホビット庄)には戻ってきますが、時間は戻りません。
ビルボもフロドも、変化をともなった時間のあと、同じ袋小路屋敷へへ戻ったとき、不変のようなホビット庄(実際は、ビルボもフロドも、同じ家には戻れませんでしたが)にあって、まったく違うホビットになっていました。
還は環でもある、時間によって壊されて新しい時へ踏み出すための環=輪(運命)でもあるのです。
スマウグが、指輪が、それぞれその時点での中つ国のウロボロス=壊されるべき輪(運命)であり、神話の繰り返しを破って、次の時空間へ移動する。
そして、もうひとつ。
瀬田氏が学生時代に研究したという松尾芭蕉の言葉があります。
「ゆきて帰るあじわひの心」。
意味は簡単に現代的にいうと、「俳句を作るときには、一つの題材をそのままに表現するのではなく、別の視点や切り口で表現しなくてはいけない」ということでした。
(これも興味がある方は検索してみてください。)
昭和48年に山本健吉氏はこう解釈しています。(『ホビット~』はすでに翻訳されていましたが。)
「俳句詩型が絶えざる往と還との原理によって支えられている」。
現在では、大輪靖宏氏がこのように解釈しています。
「行きと帰りというのは、そこに表現されたそれぞれの内容の方向性が同一でないということだろう。(略)その中に併存する二つの要素が、意味内容において、別々の方向性を持っているということは大切だ。二つのものが同一の方向性を有していれば、結局それは繰り返しに過ぎないのであって、言わんとすることの意味は強められるかも知れないが、意味の広がりは生じない。方向性の違う二つのものが響き合うからこそ、その間の空間にさまざまな意味が生まれ、その句の表現内容に奥行きが生じてくるのである。」
「句」を「物語」に置き換えてみると、どうでしょうか。
先に示した「環」と「還」、二つのものが同一の方向性しか持たなければ、それは繰り返しにすぎない。
前へ進むエネルギー、未来へとつづく希望は「輪」を壊して生まれてくる。
スマウグたる指輪たる「ウロボロス」を破り、ビルボはフロドはサムは、ふるさとへ戻り、再び旅立つ。
エルフの時代は終わるが、彼らもまたふるさとをめざす。
中つ国も変化する。変化は悲しみももたらすが、未来には喜びも約束されているに違いない。
こどもたちへ良い物語を良い未来をと願った瀬田氏が、There and back again を 「ゆきて帰りし物語」と名付けたことで、このサブタイトルには、トールキンが表したかった中つ国の神話的な長久な時空が内包されたのではないか、と考えるのです。
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おひさしぶりで、ホームズです。
http://crann.exblog.jp/22644319/
2016-03-26T12:19:38+09:00
2016-03-26T12:19:29+09:00
2016-03-26T12:19:29+09:00
crann
cinema・映画
近況報告もそろそろ、ですが、一言でいいますと「介護たいへん」です(^_^;)
ですが一山は越えましたので、自分の生活、自分の生活基盤である「家」の
片づけを鋭意続行しております。
しかし精神的な自分のフォローを忘れているわけでは、ありません。
この数年のホームズのメジャー復帰(笑)に貢献している、イギリスBBC放送
製作ホームズパスティーシュの気鋭「SHERLOCK」、その最新スペシャル映画版
はしっかり、鑑賞しました。
まとめなくてはと思い、ブログに投下いたしますが、長くなりそうです(笑)
とりあえずは、冒頭から。。。
大いにネタバレです!
冒頭はこれまでのあらすじで、ジョンとの出会いからシーズン3最終話ラストシーンまで
流れるところからスタート。ただしこの流れは、本来のドラマの流れとは少し違う。
そして「alternativley」。
電子辞書では「(承諾するか)あるいは(otherwise)、また、その代りに(instead)」とある
単語だが、気になって調べてみると、ファンで注意深い人はおおっとなると含意がある。
厳密には、insteadとalternativelyの使い方は
instead→aのかわりにb
alternateively→aのかわりに「半永久的に」b
だそうだ。
(英語に関する箇所に、「大方の叱責を乞う」を意味する記号を作って入れたほうがよさそう)
oxford learn english dictionaryでは
「used to introduce a suggestion that is a second choice or possibility」
二番目の選択または可能性の提案を導入するために使われる。
二番目の選択!
ついでながら、oxfordのペーパーバック版のalternativeは
「available in space of something else」他の場所で手に入れる、とある。
つまり、ここから起こることは、いったい「どこ」で「なに」を選ぶのか?と大書され
ていた!(と思われる、です)
予告編や前情報から、今回のスペシャルはヴィクトリア時代が舞台であることは周知だ。
「どこ」はロンドンでヴィクトリア時代。
では「なに」は?それは最後のお楽しみ…
ヴィクトリア朝はシャーロック第一話study in pinkを踏襲して始まる。
いやいや「緋色の研究」の二人の出会い、というのが正しいのか?(笑)
原作どおりの展開であり、マーティン・フリーマンはまたもや(!)戦闘で負傷し、
またもやロンドンでPTSDの日々を送り、またもやスタンフォードと再会し、
またもや!ホームズを紹介される。セントバーソロミュー病院の地下実験室で。
紛らわしいので、ここでルールを。
以下、ヴィクトリア時代ではワトソンはJW、ホームズはSHで、
SHERLOCK本編現代では、ジョンとシャーロックでいこう。
なぜジョンが先かというと、それは全日本ワトソン協会員だからですよ(笑)
それ以外の人物は、〇〇の誰々、と書くようにしよう、できるかな。。。
今回はイラク戦争はないのでSH「アフガニスタンにいってきたね?」である。
また、スマホを貸せのかわりに鞭を投げてJWにうけとめさせ
「いい反応だ」と満足そうに言う。
これは、SHが「JWがアフガニスタンから「肩を」負傷して帰国し、杖をついているのは
肩の負傷のせいではなく精神的なトラウマだ」と見抜いたということ。
住所を告げる際、現代では「ツーツーワンB」というがヴィクトリアでは「2ハンドレッドトウェンティ
ワンB」といっている。
こういうふうに、英語のはしばしが古めかしい言い回しがヴィクトリア朝。
そして出会いから時は流れて二人は数々の事件を解決しJWはメアリと結婚しJWの事件録は
ストランドマガジンで大評判新作は「青い紅玉」だ、に時がとぶ。
事件で遠出をした二人が221Bへ戻ると、ハドソンさんと給仕のビリーが迎えてくれる。
ビリーは、ジョンの結婚式でリングベアラーを拝命したミステリホラー好きの金髪少年だ。
ハドソンさんとのやりとりも面白い。現代でもハドソンさんは「私は家政婦じゃないわ」と
いいつつ二人の世話をやくのだが、今回は家政婦である。
JWが家政婦であるハドソンさんが「物語で重要ではない」と言うのに、ハドソンさんは
不満を持っている。家政婦であることよりも、実在する自分が物語世界で軽んじられている
ことが納得がいかない。
また、メアリとJWとのやりとりも、じつは伏線になっている。
メアリの喪服めいた服装も、この時代がヴィクトリア時代(ヴィクトリア女王の長い服喪)
であることを表し、またタイトルロールを演じる「花嫁」のアシンメトリーでもあり、
現代版でのメアリの本質(シャーロックを冷静に撃った黒づくめのアサシン)でもある。
メアリ登場に香水がでてくるのも、現代版をふまえているところ。
221Bの居間(JWは結婚して独立しているにも関わらず)での、いつもどおりの笑劇(ファルス)
の一コマに、やはりなくてはならない人物レストレードが登場。
ここで、初めて、タイトルの事件が語られる。
全編とおしてのホラーでゴシックな雰囲気は、さすがヴィクトリア時代でドクターフーをさんざん
奔走させたモファット×ゲイティスだな!と思う。
花嫁のシーンは理解しがたいものへの不安、ヴィクトリア時代の科学の進歩という輝かしさと
表裏一体の不安感が満ちている。
レストレードの告白めいた報告がおわり一同モルグへいくことへ。
おいてけぼりのメアリはレストレードへ、女性の参政権獲得の運動中であることを告げるが、
レストレードはピンとこないらしくメアリに「出ていけ」と指さされる。
(この出ていけget outはシェイクスピアのセリフにありそうな)
メアリへの謎の電報、謎のMは007のMを意識したのか、おもしろい。
と、すべて説明していくととても終わらないので、この後は(も)盛大にネタバレしつつ、
気に入ったところのネタ探しと感想、穿ち見でいこう。
中盤でわかるが、このヴィクトリア版は、シャーロックがイギリスを離陸しすぐに出戻る
5分間にシャーロックが自分の「精神の宮殿」に潜行した物語、となっている。
だが、これが本当に、シャーロックの精神の中だけなのかどうかははっきりとしない.
シャーロックは、まだ若いころに、能力を高めるためにドラッグを乱用して、精神の宮殿
に潜行することを繰り返していた。
マイクロフトは、その所業のきっかけを作った(これがreadbared という犬?のことらしい)
ことと、兄としての責任(両親へは隠していたのかも)で、ドラッグ依存症から弟を
助けようとした。
そのとき、二人のあいだで約束したのが「人事不省に陥ることを想定して、使っていた/いる
ドラッグをリストにして持っていること」だった。
この中盤の現代では、精神の宮殿に潜行するためにドラッグを乱用した、と言い訳して
ヴィクトリア朝の未解決事件を解決すればモリアーティの仕掛けた罠の謎もわかる、と
シャーロックは無理やり街へと向かう。
しかしここは現実ではない。
精神の宮殿の入子。
つまり、
現実(精神の宮殿1:現代(精神の宮殿2:ヴィクトリア朝(精神の宮殿3:ヴィクトリア朝2)))
となっているらしい。
この構造は、実際のヴィクトリア時代のオリエンタル趣味を反映、強調した「壺中天」な演出
なのだろう。
またヴィクトリア時代は幻想文学が主流であった時代でもある。
ここではシャーロックのなかのメアリーの分析がおもしろい。
精神の宮殿1のシャーロックはメアリーの能力を高く評価しているのだ。
メアリーがスマホで「got it」と素早く情報検索するのは、本来ならシャーロックがすべき作業、
それをメアリーが交替してくれている。
ジョンは、精神の宮殿2でも「揺るがない」ジョンである。
シーズン3で、シャーロックとメアリーはジョンを挟んだ存在なのだ宣言していたが、精神の宮殿
ではそれが顕著になり、メアリーはシャーロックの作業を分担するほど高い知性をもち信頼できる
存在として現れる。
現代で優秀な検死医として、シャーロックの数少ない信頼できる仲間としてのモリー・ フーパー
は、ヴィクトリア時代でも検死医として登場。
ただし、女性の地位向上と女性参政権運動のためか?男装し、男性と偽って?スコットランド
ヤードのモルグ勤務をしている。
アンダーソンは、フーパーの部下である検死官だが、当時の検死官としても下っ端でらしく
科学的とはいいがたい迷信人間らしい。
そして、その男装を見破っているのは、JWだけか?
JWはそのことをほのめかしつつ(自分が繊細で感受性や思いやりがあるからと自信がある
らしい態度)、フーパーに遺体の所見をのべる。
字幕では
「もちろん銃創が死因だが、肺炎だった。長くなかっただろう」
となっていたが、これは「肺結核」だろう。
現代でも結核はやっかいな病気であり、知らずに進行すれば死に至る。
結核で死ななくてすむようになってから、ほんの50年くらいではないだろうか。
当時は結核は、必ず死にいたる病気であり、ゆるやかな死刑宣告だったはずだ。
家族に結核患者がいれば、家族も家全体もかかわらないでおこう、というのが
社会の常識であったろう。
結核になった、ということも、この遺体が生前は社会的弱者であったということだ。
この遺体こそが、怪奇な事件の「犯人」である、花嫁。
花嫁衣裳をつけて、銃を乱射したあと自殺し遺体はモルグに運ばれた…
にも関わらず、その夜、この花嫁は自分の夫を殺したのだ。
この事件を解く鍵、死者が復活して殺人が出来るか否か?が明確になれば、
現代(現実?)の「モリアーティ復活」の謎を解く鍵となる。
と考えたSHは、ヴィクトリアン精神の宮殿に「深く深く潜行して」、忌まわしき花嫁の事件と
解決しようとする。
その解決にむけて、さまざまな情報がヴィクトリアン精神の宮殿を交差するのが、
おもしろいのだが、銃乱射事件のときの花嫁の
「you?you?or me?」
というセリフ。
この言葉が事件の発端で残された、ということこそ大きな意味があるのでは、
と最後に気づいたのだった。
さて、まずはここまで。
続きをお待ちください。]]>
英文学への道。
http://crann.exblog.jp/19722449/
2014-04-26T23:41:00+09:00
2014-04-27T09:37:33+09:00
2014-04-26T23:42:01+09:00
crann
luccicare・えるべれす!
1月には一般向け公開講座にも行っているので、今年は慶應づいているのかも。
さて、慶應といえば伊藤盡先生ですね、もうおわかりのことと思いますが、そうです、ホビットです。
ホビットとその作者トールキンをめぐる文献学的な話を、新入生むけにわかりやすくドアを開いて
みせてくれる講座でした。
その最後の質疑応答が、講座全体をぎゅっと圧縮した内容でしたので、まとめてみました。
以下。。。 本日の慶應公開講座で出た質問者は9人。なにかの符号かとおもうと楽しい。最初と最後は司会をつとめてくださった先生なので1人に数えて、ですが。
第1の質問。司会先生から。
トールキンとトルキーンはどちらが正しいか。
先生:頭にアクセントがくるので、とーるキーン。キーンと伸ばすのは正しいが、日本人は長音のほうにアクセントをしてしまうので、と-るキーンとしたほうが近いでしょう。
第二の質問。スマウグ以外、ベオウルフ等古英語などの中世文献からの引用と思われるのはどこでしょうか?
先生:ゴクリ(ゴラム)とのなぞなぞ問答は、「ソロモンとサテュリヌスの問答」からの引用があります。(聞き書きなので書名は違うかも)
第三の質問。エルフ、ドワーフなどの「姿(形状)」を決定したのはトールキンだと言われていますが?
先生:近代の解釈として妖精たちが弱弱しい儚げな存在となったのを、中世の文献から再び力ある存在として復活させたのがトールキン、といえるでしょう。
第四の質問。1映画ホビットのなかでトロルのセリフはtodayが「トゥダイ」と訛っていたがこういう場合はどのように翻訳するのか。2エルフの言葉やガンダルフの言葉は古英語の発音と似ているのは?
先生:1の回答として。原作(英語)も訛った表現になっているのでそれを生かした翻訳に考えます。
先生:2の回答として。子音が鋭く聞こえるのと有気音のせいです。エルフたちが話すのはシンダリン、これはウェールズ語から考えたようです。ガンダルフが話しているのはクウェンヤ、こちらはフィンランド語の影響をうけていると思われます。
第五の質問。英文学はシェイクスピアをはじめたくさんの古典テクストがあるにもかかわらず、トールキンが20世紀にわざわざ古典的な文体でホビットを著したのはなぜ?
先生:シェイクスピアも十分理解したうえで、トールキンの好みは近現代文学ではなく中世だった。(現代文学は人物の思考や思想が表現されます)しかし、中世的な思考を現代人に中継するためにあえて近代的現代的な表現上の工夫をしたところもあります。
第六の質問。先生ご自身が「発音する」のが好きな言葉は?
先生:Dreamは、現代語ではドリーム夢ですが、古英語では「ドレアム」喜びという意味です。そして現代アイスランド語では「ドレイムル」と発音します。(言葉の意味の変遷もふくめて)この言葉が好きですね。
第七の質問。(この質問はとても繊細で難しい質問でした、ご承知を)瀬田先生の翻訳をどう思われますか?
先生:瀬田先生の翻訳は名訳、名調子です。音読に真価が出る。誤訳もあるがその点を新訳と比較しても、どこまで英語に沿うかどれだけなめらかな日本語にするのか、その2点を抜いた翻訳はない。私は名訳だと思います。(伊藤先生が原文の部分を英語で読み、また瀬田訳で朗読されたことをふまえた質問だったのでしょう)
第八の質問。ホビットには現代の事物を例にあげた表現もあったようですが、そのことについては?
先生:機関車のようにとか汽車のトンネル(?)とか、そういった表現はビルボやフロドの書いた本をトールキンが翻訳するときに「ビルボの気持ちを現代風に翻訳した」ことになっている。版を重ねるたびにそういう表現ははずしていき、指輪物語ではほぼ無くなっている。
第九の質問。トールキン研究にこれから挑むためのアドバイスを!
先生:恩師の言葉を引用します。「トールキンほどの天才はエベレスト級だ。どこから登ろうとどのルートを辿ろうとあれほどの巨人になると、よってたかって攻めてもびくともしないので、安心して登りなさい」。
結論、トールキンはなぜホビットや指輪物語、中つ国の歴史を作ったのか?
純粋に遊びと楽しみもあったはずだけれど、自分がはまった中世の語学、文献学がどれほどおもしろいか、現代に生きている「いま」から不連続ではない時間と空間を「書物」から実感することができる魅力、を若者へ伝授続き)しようとしたのではないか?
さあめくるめく古英語、中世の世界へ♪
とびらに鍵はかかっていない、唱えよ「友」と。さすれば開かれん。←これは私の感想(笑)
以上、雑駁メモからでした。間違い多いと思いますのでご容赦を。]]>
風疹は重いよ。
http://crann.exblog.jp/17539421/
2013-03-31T07:50:11+09:00
2013-03-31T07:50:33+09:00
2013-03-31T07:50:33+09:00
crann
exccetera・いろいろ
公私、またいろいろとありまして。。。
時間ができそうかなと思った年度末、先々週からなんとなく下降気味と思っていたら、
26日朝出勤して、同僚に「顔が赤いよ!」。
風疹のようでした。
そのまま診察うけて、自宅へ戻り、現在に至ります。
36℃後半からたぶん38℃越える体温をいったりきたり、発疹は29日にはおさまってきた
のですが、関節炎が痛いのなんの。膝がまず痛くてしゃがめませんでした。
首の後ろのリンパ腺も、後頭部まで腫れて、枕にあたって痛いです。
今は、ロキソニンを飲んで、解熱と痛みの緩和で眠っています。
が、寝ていても、血行が悪くなると両手両足の手首足首から先が痺れたようになってきます。
起き上がる、立ち上がり歩く、それだけで「イッテテテ・・・」です。
今朝はメールチェックができましたが、とうとう年度末まで休んでしまいました。
明日まで休みをもらっていますが、出勤できるのかな?・・・]]>
白鳥の湖。
http://crann.exblog.jp/17174057/
2013-01-18T20:37:00+09:00
2013-01-26T21:58:43+09:00
2013-01-18T20:37:27+09:00
crann
musica・音楽
キエフバレエ団公演「白鳥の湖」を見ました。
ひさしぶりの、ライブのバレエ舞台です。
白鳥の湖もいったい何年ぶり!?
音楽や構成、演出も松山バレエ団とかキーロフバレエ団とか以前見たのを詳しく記憶していないので、
どこがどう違うかは全然わかりませんでしたが・・
衣装がすばらしく美しかったです。王子以外の。
何故に王子の衣装は「白タイツ」しかないのでしょうか?今回の衣装、中世風のゴージャスな宮廷衣装、各国の踊りのスイス風、スペイン風、コサック風、どれも美しくて素敵でした。
白鳥ももちろん美しいのですが、黒鳥のゴージャス加減がまたすばらしい。
チュチュの上に大きなクリスタルがとめてありました。
(今、気づきましたが、白鳥から黒鳥へ衣装を変えても重さを同じようにしないと、バランスがとりづらいですよね?片方がゴージャスなら、もうひとつもゴージャスにしないと、見栄えだけじゃないんでしょうね。)
なのに、王子は変わらず白タイツ。。。
第一幕はまだジャケットがあるからいいけど、第二幕になると、身軽すぎて、他の衣装と比べても王子っぽくなく見えてしまいました。
席が前から二列目、右端とあまりいい席ではなかったので、遠めで中心から見たら、それほど王子が浮いて見えることは無いのかもしれませんが。。。
ロットバルトもいいダンサーでした。
黒鳥オディールを連れて大広間にあらわれたロットバルトのかっこいいこと!
今回は、王子の家族は女王(母)だけですが、ロットバルトが女王陛下の玉座に近寄り女王の手をとって挨拶して、そのあともずっと女王に侍って(笑)話しかけているのですが・・・
そこがどうにも、ロットバルトが女王を口説いているようにしか見えなくて(笑)
娘に王子、自分は女王を狙っているのか!親子で王国のっとりか!
そういう話でも全然かまわないけど(笑)、時間が限られた舞台上の演出では、できませんよね。
ノベライズしたら、いろいろふくらませておもしろくできそうです。
スペインのカバリエに一人ものすごくかっこいいダンサーがいました。
一緒にいった友人とニ幕が終わった瞬間「あの!スペインのダンサー!」と同時に叫んでしまったくらい。
白鳥たちにもわりと大柄なダンサーが多く、中心に小さめ、周りへ長身のダンサーを配置しているのも面白いと思いました。
日本人から見て大柄だなと思うくらいですから、たぶん170cmありそうな白鳥さんです。
バレリーナは背が高いと不利とはいいますが、やはりそういう枷をはずしてもらいたいですよね。
音楽もウクライナ管弦楽団で、バレエにオケピがあるのが珍しいのか?オケピットを覗きにくる観客で、オケピは超人気者?状態でした。
指揮者はシャープな横顔がすてきなおじさまで、これまた眼福。
初めて指揮と踊りのアイコンタクトを見ましたが、それ以外にも、出のタイミング、動くタイミングなど、話しかけるふり(で本当に話している)や、扇で手招きなど、いろいろな合図があるらしいこともわかって、前から二列目を充分に楽しめました。
黒鳥の32回転と指揮者のタイミングがばっちりあった瞬間、指揮者がにやり♪と満足気に笑ったとき、ダンサーにだけでなく指揮者とオケにも拍手を贈りました。
さて、実はさんざんな王子(衣装)批評をしてしまいましたが(^^;)、王子がバレエ団の芸術監督だったりします。
http://www.koransha.com/ballet/kiev2012/pdf/cast20130113.pdf
ダンサーたちのインタビュー画像もどうぞ♪
http://www.koransha.com/ballet/kiev2012/#filipieva
*リンクがでないのでurlを直接貼っておきます。
舞台大道具に、城の紋章があったのですが、全景が見えず(苦笑)、でも百合紋章があったのですが。。。
いったいどこの国の設定なんでしょうねえ。]]>
緑龍館の看板。
http://crann.exblog.jp/17161696/
2013-01-16T14:11:22+09:00
2013-01-16T14:12:25+09:00
2013-01-16T14:12:25+09:00
crann
cinema・映画
左上から、緑龍館(ホビット庄のパブ)看板、左下はビルボの家のドア、右上は踊る仔馬亭看板、右下はビルボが木戸にうちつけた「お客はおことわり」。
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ホビット土産。
http://crann.exblog.jp/17160635/
2013-01-16T09:57:05+09:00
2013-01-16T09:58:10+09:00
2013-01-16T09:58:10+09:00
crann
cinema・映画
映画の中で、ビルボはガンダルフからもらった「つらぬき丸」(Sting)を裂け谷でためつすがめつしていると、バーリンが「すべての剣に銘(由来)があるわけでない、それにそれ(まだ「つらぬき丸」とは名づけていない)は剣とも言えない、ペーパーナイフというところじゃな」とあるのですが、思わず笑ってしまいました。
確かにホビットにぴったり=小さい・・・剣?なサイズなわけですね。
The One Ring Net 監修のトールキンと指輪映画愛好オタク雑誌。
中身はこんなかんじ。
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冒険に遅刻決定【ネタバレ】
http://crann.exblog.jp/17157137/
2013-01-15T17:39:00+09:00
2013-01-15T19:44:04+09:00
2013-01-15T17:38:44+09:00
crann
cinema・映画
ドワーフ宴会のあと、ビルボ・バギンズにいやがらせ(笑)しつつ、ドワーフの大変すばらしい家事能力が発現され、宴会の片付けは驚異的に終了する。
このときは、ドワーリンがヴィオラ(ヴィオール)を弾き、ボフールがホイッスル。
原作ではドワーフは全員楽器を持っていることになっているのだけれど、音楽を愛している流浪の民設定は、暢気で食べ放題が趣味のホビットとは大きな違い(笑)
このあたりは、原作の雰囲気がうまく伝わる、いい場面が続く。
しかし、ビルボのストレスも最高潮、いったいなんで、ガンダルフはこんな「やつら」を我が家へ集めたんだ!?この理不尽加減は、「物語」の重要な鍵、ある種の「デウスエクスマキーナ」じゃないだろうか。
もちろん、背景にはガンダルフの深謀遠慮(には思えない、ただの直観、でもイスタリとしての直観なら許せるかな?)があるのだけれど、実はもっとすごい「運命」だったわけだし。
さらっとしようと思っていたけど、もうちょっと熱く語ってみておく。
物語の力とは何か。
良い本とはどういうものか。
トールキンの著作にもあるけれど、物語とは「繰り返し起こる事象に意味を作ること」でもあると思う。
人間は、おこったこと、聞いたことのすばらしさを、伝えたいという心と力がある。
物語は、その心によって作られる製作物であって、悲しみでも喜びでも、心動かされたある記憶や経験や伝承でできあがっている。
物語は、語られるたび、本であればページをひらくたびに、その体験を実感できる。
よい物語は、何度でも楽しむことができる。
『指輪物語』も『ホビットの冒険』も、良い物語のひとつで、だからこそ世界で愛されているわけだ。
PJは、そのことを、映画という形で実現したと思う。
「ロード・オブ・ザ・リング」から「ホビット」がただの連作映画ではなく、物語を開くのと同じ喜びが、今回の「ホビット」にはあると思う。
ただし、PJの、とことわっておくけれど(笑)
ビルボのストレスを放置してはいけない、さあ、トーリンの登場だ。
重厚な登場のくせに「2度も道に迷ったぞ」はないだろう(笑)
これほどえらっそうな迷子はいないぞ。
「扉の刻み文字がなければ、わからなかった」いやいや、ここはお山の一番てっぺん、迷うはずがありません。ここが一番高い一等地ですよ、統領。
*サントラの普通バージョンCDは、この刻み文字が入ったビルボの家のドアのイラストになっている。
スペシャルバージョンのサントラCDは、はなれ山への地図のスマウグが飛ぶあたり。
とにかくトーリンはえらっそう。トーリンが19世紀の人だったら、特大カイゼル髭を蓄えて「ムスタッシュの会」会員になったであろう。(ムスタッシュの会とは箱根富士屋ホテル創業者も入っていた万国髭倶楽部です 笑)
ビルボは、ドワーフ一党にはすでに「忍びこむ名人」(日本語でも忍び)と紹介されていて、ビルボは鳩が豆鉄砲くらったような顔をして、しかし、ドワーフ王国と谷間の国の滅亡、そして王家の末裔である(ただのドワーフじゃないのだぞ)トーリン、という、ホビットの日常からかけはなれた、実はずっと憧れていた「華々しい非日常」の物語に夢中になりつつある・・・
王国エレボールへ入る秘密の入り口と鍵がガンダルフの手品じみた手元からあらわれ、さて、ビルボ、君がなぜ必要かというとだね、とガンダルフがドワーフ全員に「魔法使い」力の片鱗で(ただの癇癪かもしれないけどw)圧倒する。
原作『ホビットの冒険』と『指輪物語』も、物語(神話でもいい)の約束として「繰り返し」が何度でも起きる。
ビルボもフロドも、ガンダルフの来訪によって予期せぬ旅へみちびかれる。
途中の危険をへて、裂け谷へいきエルフ(上古の知恵)と出会う。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」で、老ビルボに指輪を手放せようとするガンダルフが一瞬みせる「魔法使い」の真の力、これが、「ホビット」でも「物語の繰り返し」として使われているわけだ。
ドワーフ、特にトーリンはなんとか自分を納得させてビルボが参加するなら、受け入れよう、という態度を見せる。
バーリンの示した契約書をビルボが熟読するところは、バーリン、ビルボの両人どちらにも英国人の気質があらわれている。
バーリンはとても賢く考え深く、とてもいいキャラクターとして表現されている。
原作とは違い、一行のなかでも年長者で賢い人という位置になっている。
バーリンはまた、戦士でありながら契約書を美しい文字で作成できる、職人でもある。彼が取り出す片眼鏡仕様の老眼鏡?は、実用的でありながら美しく、さすが元は地位の高いドワーフの持ち物だ、と思わせる。
契約書の内容にショックをうけて、ばったりいってしまうビルボ。
ドワーフたちは「こりゃだめだ」とすでに諦めモード。バーリンは、いつも運が無いがこれも運命だ、とトーリンに王国と黄金奪還は、命をかけてやらなくてもいいのだと、あなたは指導者としてこれまで立派にやりとげてきたと訴える。
が、トーリンの復讐心と誇りには届かない。
明日は出発だ、とドワーフたちは、故郷への憧れを詠嘆のように歌う。
霧降山脈のかなたへの歌である。
これは秀逸だ。ドワーフキャストの声もすばらしい。(ただし、日本語吹替えではいまいちだった・・・)
ドワーフ王国滅亡後に生まれた、王国の栄華を知らない若者ドワーフも、年長者の嘆きに一族の誇りと憧れをかきたてられ唱和する、美しい嘆きのシーンだ。
自分のベッドルームでその歌を聞いているビルボの心には、何がうかぶのだろうか。
この嘆きがどれくらいビルボに伝わるのだろうか。
そして翌朝。
素晴らしきドワーフは、完璧に袋小路屋敷を復元(笑)して旅立ったあとだった。
ビルボは、よし!よし!といつもの静かで平和な自分の住まいに安心する。
ああ、日常だ。ぼくはホビット、何が冒険さ。
しかし、一夜の夢と思い込むには、表現しようのないものが湧き上がってくる。
契約書はフットレストに残っている。
暖炉の熾火のように、心に残ったものはなんだろう?
あの歌や音楽、騒々しい、異種族、魔法使い、外の世界。冒険。
さあどうする?バギンズの旦那として朝ご飯を食べるか?
一気にお山を駆け下りていくビルボ!
あの、フロド、サム、メリー、ピピンがマゴットじいさんの畑からずらかるときの音楽「マッシュルームへの近道」が楽しくアレンジされ、スタッカートと8分音符と休符で軽快にビルボを走らせる!
「ビルボの旦那さん、いったいどうしなすったんで?どちらへお出かけで?」
「冒険に遅れる!」
…やっぱり、バギンズの旦那は変人だ、とホビット庄に噂をしっかり残して、ビルボは旅立つのだった。
(続く)]]>
冒険に遅れる!【ネタバレ】
http://crann.exblog.jp/17157105/
2013-01-15T17:33:05+09:00
2013-01-15T17:32:29+09:00
2013-01-15T17:32:29+09:00
crann
cinema・映画
PJ監督の前作「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の全ての表現に、私は諸手をあげて賛成できるかといえば、いえない部分も多々あった。
しかし、PJ監督によって実体化された(されてないけどw)中つ国の風物に、心ゆさぶられるところがあった。
それを思い出すにつけ、今回のホビットも、「PJフィルターを通して」の表現のなかで、理解できる、または、評価できる、ことがいくつも発見できると思う。
そのうちの大きなひとつに、やはり、これはPJのホビットだ、ということだ。
残念ながら英語力の乏しい私にとって、原書のトールキン教授が自分の好みと趣味と能力を最大限に発揮して描いた「言葉」の壁は大きい。
トールキン教授の膨大な古典英語の知識、北欧やゲルマン、ケルトの知識を、原書の英語から読み解くことは不可能なので、まずは、翻訳というフィルターを通して『ホビットの冒険』(岩波書店/瀬田貞二訳)を楽しく読んだのだった。
日本人でトールキンが好きな人なら、ほぼ誰もが同じ本を読んでいるだろう、つまり皆が持つ「ホビット」とは、瀬田貞二のホビットの世界だ。
『ホビットの冒険』が岩波少年少女文庫から刊行されているくらいなので、瀬田貞二さんは、日本のこどものために楽しく翻訳されている。
同じ瀬田貞二訳でも『指輪物語』の重厚さとは一味も二味も違う。もちろん、それでいいのだ、ホビットはこどものための物語なのだから。
映画「ホビット」は、PJが先に「ロード・オブ・ザ・リング」を映画化し、彼の中つ国はすでに完成している。
「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビット」の間に大きな乖離が起きるはずもなく、あってはいけない。これはあたりまえだろう。
そこで映画「ホビット」は、原作(日本語訳としておく)の表現より、数段重厚にならざるを得なかった。
ここで、すでに映画「ホビット」は原作とは大きく離れていったと思う。
ひとつずつのデティールに、『指輪物語』とその『追補編』から読み解いた風味、中つ国の古い歴史、ビルボが未だ知りえないはずの暗黒との戦いが、薄紗のようにかかっている。一枚板の扉とおもっていたら、そこに壮大な物語が彫られていたと気づくような、感覚。
PJは、「中つ国」を、今回のホビットでもう少し色濃く表現しようとしているのかもしれない。
重厚さを膨らませた大きな違いの部分は、ドワーフの「憧れ」の部分である。
原作では、ただただひたすら、ドワーフたちは「失われた黄金」への欲求によって、また予言の成就によって、黄金奪還のために立ち上がる。
(このプロットは、まさにニーベルンゲンの指輪の主題でもある、黄金と小人。)
映画「ホビット」のドワーフは、まずは故郷喪失、王国の滅亡、一族離散につづく困窮の年月を過ごしてきた。
誇り高きドワーフ王家の末裔トーリン・オーケンシールドは、一族を安全に暮らせるよう導いた立派な指導者でもある。
が、彼のなかには、祖父と同じ黄金への欲求と同じくらいに強く、ドワーフの栄光復活への切望がうずまいている。
復讐心と誇り(トーリン役のアーミテイジもマクベスであると言及していた)というトーリンの性格付けが、「ホビット」を重厚化させている、と第一部では特に感じられた。
この動機付けが、さまざまな波紋を呼び起こしていくのだ。
13人の統領としてのゆるぎない尊敬の獲得もそうだが、トーリンと対することで「ホビットとしてのビルボ」の性格、性質、位置がはっきりしていく。
ほぼ原作どおりの進行でありながら、この重厚さによって、映画「ホビット」はやはりPJのものである。
さて、日本語吹替えで楽しめることのひとつに、「言葉遣い」がある。
トーリンの「貴様」は武士の武張ったよびかけであるし、アーケン石を「山の大御霊(おおみたま)」としたところが、私はとてもいいと思う。
(だいぶびっくりしたけどね、大御霊w)
実際、ドワーフ13人全員が腕に覚えがある戦士ではない、が信義(ちょっと黄金w)で固く団結していくところなんぞは、日本人の大好きな「忠臣蔵」じゃないですか?(笑)
トーリンは大石内蔵助?(笑)
日本語吹替えは、情報量の多さも魅力だけれど、美文調の語り口で、より「重厚さ」を実感できる。
それにしても感想が尽きなくって、本当に冒険に遅れるね、これじゃ・・・]]>
中つ国へ、ふたたび!【ネタバレ】
http://crann.exblog.jp/17130735/
2013-01-10T21:04:57+09:00
2013-01-10T21:05:49+09:00
2013-01-10T21:05:49+09:00
crann
cinema・映画
映画「ロード・オブ・ザ・リング」(邦題/原題The Lord of the Rings)でPJ監督が描いた「中つ国」Middle Earthに馴染んだ目には、とても懐かしく映る。
映画Lotr三部作に賛否両論、否が大勢をしめてしまったこともあった目にも、ホビット庄の緑の丘は懐かしく美しくリラックスして迎えることができた。
この感想は、ひさしぶりの指輪オタクとしてネタバレ全開だが、Lotrとも密接にかかわる映画「ホビット」のサウンドトラックについても並行して、自分のためにも記録しておく。
老ビルボは、Lotrのサー・イアン・ホルム。フロドもそのまま、イライジャ・ウッド。
「ホビット」はLotrの発端から60年前の物語であっても、現実の俳優たちには8年の歳月がたっているにも関わらず、みんな若くて生き生きとしている!
Lotrで驚かされた、ニュージーランドWETAスタジオのCGI(笑)にはびっくりする。
ただし、ガンダルフのサー・イアン・マッケランはどうしも声が、サルマンのサー・クリストファー・リーの朗々たる響きも、老いが感じられてしまった。二人ともお年を召したなあ。。。
(そうそう、三人もサーが出ている映画ってのもすごいw)
その点は、吹替え版はガンダルフもサルマンも、力あふれる魔法使いらしさなので、おすすめ。
老ビルボは、自分の冒険物語の導入を語りはじめる。
音楽はホビットでは、特にLotrから続く様々な動機やテーマを物語っている。
Lotrでのサントラ、指輪の仲間のテーマ、Rotkの旅の仲間の帰還でゆっくり乾杯するところの旋律に柔らかいトライアングルを使って谷間の国の在りし日の姿。
ドワーフのテーマが入り、エレボールの美麗さを。
災厄のおとずれの動機がおこる。
映像では谷間の国に高々とあがる凧が強風に煽られるところに、ドラムが凶事の前触れとなっている。
*この凧、竜、亀、翼竜?(プテラノドン)風と3つあるのだけれど、これって、PJの怪獣映画へのオマージュか もしれないなと思った。
竜=ゴジラ、亀=ガメラ、翼竜=キングギドラ(笑)。
姿はいっさい見えず巨大な災厄であるスマウグの爆裂炎が谷間とエレボールを一掃する。
*これも、ハリウッド版ゴジラが最初は全形を見せなかった演出に似ているかも。
トーリンは若々しく、力強く、由緒正しい高貴さがあってとてもいい。
ドワーフ女性(髭あり?)と噂できいていたけれど、谷間の国の市で人間男子に織物を見せているゴージャスな小さめ小太り女性たちがドワーフレディじゃないか?
エレボール脱出のときも遠目ながら、ドレスの女性たちが走るのが見えたけれど、髭の有無がいまいち目視できず。
壮大な滅びの物語から、ホビット庄の緑の丸ドアの前で老ビルボは回想する、ある日こうしてパイプを楽しんでいたら突然ふってわいた冒険のことを…
そこから、我ら(笑)がジョン(SHERLOCKのジョン・ワトソン役w)、マーティン・フリーマンの若きビルボが登場。イアン・ホルムとの流れがとてもいい。
ジョン(笑)ビルボは、老ビルボと同じような「田舎紳士」ふうの衣装がとてもしっくりし、若いくせにやたら分別くさい顔をしている。衣装のホビット穴に溶け込んでしまいそうな、自然な色合い。どこもかしこも、イギリス男子くさい(笑)
ホビット庄のテーマ、コンサーニングホビットは、さらに軽快なリズムで楽しさを刻んでいる。
そこに不思議な人間の老人があらわれる。
ガンダルフの登場である。
とんがり帽子、少し煌いているマフラー。このマフラー、スカーフはLotrにはなかったものだ。
さんざんな問答になるところは、原作どおり。
夕食の準備をしているところへ、呼び鈴が鳴る。
ビルボの食卓には、塩入れ(富裕層の象徴)がある。さすがバギンズの旦那である。
が、塩をふった鱒のバタ焼き(だと思うけど)はビルボの口には入らず…
まずドワーリンが訪れ、一番乗りの一番槍(笑)でドワーリンが平らげてしまう。
次はドワーリンの兄、バーリン。
体を半分向こうへむけていて、ドアがあくとこちらを向く、バーリンの登場はとてもいい。
ドワーリンとバーリンが兄弟仲良くパントリーを漁るところも、とても楽しい。
*この後、フィーリとキーリの、この映画では「美形」に入る若者ドワーフ兄弟が来るのだが、この二人はとて も礼儀正しい、が、ドワーリンには「ミスター」「殿」がつくけれど、バーリンにはつかない。
もしかしたら、バーリンは彼らの親代わり(代父とか名づけ親とか)なのかもしれないなと思ったり。
全員が集合して、ビルボのパントリーはすっからかんになってしまう。
ドワーフの楽しい合いの手にのって、エダムチーズらしき大玉チーズ×3、小さめトマト(ミニトマトとトマトの中間くらい、黄色いのも赤いのも。これが少し皺よっているところが、いかにも貯蔵庫のものらしい。)、ボンレスハム(これはスライスされてテーブル直置き!なぜボンレスかというと、楕円形だったからw)、鶏もも骨つきもボンブールが残飯片付けしたときにあった。じゃがいもの茹でたの、人参のゆでたの、グリンピースも見えたので、イギリスパブ飯の豪快版である。
ただし、ドワーフは(ドワーリンとバーリン)、ブルーチーズは苦手のようでポイしていた。。。
そういえば、パントリーには玉葱やリーキらしきものもぶら下がっていたのに、最後はすっからかんだったので、ドワーフはなんと効率的に宴会パブ飯を作れる民族よ、と感嘆するわけだ。
(続くw)
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満開。
http://crann.exblog.jp/10170015/
2010-03-12T13:52:11+09:00
2010-03-12T13:52:12+09:00
2010-03-12T13:52:12+09:00
crann
未分類
丘の上のそのまた屋上庭園の、ミモザは満開。
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タコベジ。
http://crann.exblog.jp/10138670/
2010-03-08T14:20:07+09:00
2010-03-08T14:20:08+09:00
2010-03-08T14:20:08+09:00
crann
未分類
タコスミートのせタコライスとベジタリアンカレー。さっぱり美味しいです。
hane-cafeでランチ。
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わ・た・し♪
http://crann.exblog.jp/10068387/
2010-02-27T18:41:00+09:00
2010-03-01T21:32:40+09:00
2010-02-27T18:41:27+09:00
crann
exccetera・いろいろ
久しぶりの投稿がコレとは、ちょっと(いやだいぶ)情けない。
自戒自省。。。
やりなおしてみたのはこちら↓
でも、このメガネふちなしじゃなくて、ベーシックな銀ブチですよ?かおるさん。
かおるさんからみた私はコレ(笑)↓ ありがとう、かおるさん♪
何持ってるんですか?最初はバーミックスかとも思ったけど?魔法の杖?]]>
カツ食。
http://crann.exblog.jp/9694569/
2010-01-18T18:35:44+09:00
2010-01-18T18:35:45+09:00
2010-01-18T18:35:45+09:00
crann
未分類
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タイ食。
http://crann.exblog.jp/9694534/
2010-01-18T18:32:29+09:00
2010-01-18T18:32:30+09:00
2010-01-18T18:32:30+09:00
crann
未分類
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