緑龍館の看板。 |
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by crann
| 2013-01-16 14:11
| cinema・映画
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ホビット土産。 |
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by crann
| 2013-01-16 09:57
| cinema・映画
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冒険に遅刻決定【ネタバレ】 |
前ので熱く語りすぎたので、今度はさらっと。 ドワーフ宴会のあと、ビルボ・バギンズにいやがらせ(笑)しつつ、ドワーフの大変すばらしい家事能力が発現され、宴会の片付けは驚異的に終了する。 このときは、ドワーリンがヴィオラ(ヴィオール)を弾き、ボフールがホイッスル。 原作ではドワーフは全員楽器を持っていることになっているのだけれど、音楽を愛している流浪の民設定は、暢気で食べ放題が趣味のホビットとは大きな違い(笑) このあたりは、原作の雰囲気がうまく伝わる、いい場面が続く。 しかし、ビルボのストレスも最高潮、いったいなんで、ガンダルフはこんな「やつら」を我が家へ集めたんだ!?この理不尽加減は、「物語」の重要な鍵、ある種の「デウスエクスマキーナ」じゃないだろうか。 もちろん、背景にはガンダルフの深謀遠慮(には思えない、ただの直観、でもイスタリとしての直観なら許せるかな?)があるのだけれど、実はもっとすごい「運命」だったわけだし。 さらっとしようと思っていたけど、もうちょっと熱く語ってみておく。 More |
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by crann
| 2013-01-15 17:39
| cinema・映画
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冒険に遅れる!【ネタバレ】 |
繰り返してしまうけれど、映画「ホビット」は、ピーター・ジャクソン監督というフィルターを通して表現された「中つ国」。 PJ監督の前作「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の全ての表現に、私は諸手をあげて賛成できるかといえば、いえない部分も多々あった。 しかし、PJ監督によって実体化された(されてないけどw)中つ国の風物に、心ゆさぶられるところがあった。 それを思い出すにつけ、今回のホビットも、「PJフィルターを通して」の表現のなかで、理解できる、または、評価できる、ことがいくつも発見できると思う。 そのうちの大きなひとつに、やはり、これはPJのホビットだ、ということだ。 残念ながら英語力の乏しい私にとって、原書のトールキン教授が自分の好みと趣味と能力を最大限に発揮して描いた「言葉」の壁は大きい。 トールキン教授の膨大な古典英語の知識、北欧やゲルマン、ケルトの知識を、原書の英語から読み解くことは不可能なので、まずは、翻訳というフィルターを通して『ホビットの冒険』(岩波書店/瀬田貞二訳)を楽しく読んだのだった。 日本人でトールキンが好きな人なら、ほぼ誰もが同じ本を読んでいるだろう、つまり皆が持つ「ホビット」とは、瀬田貞二のホビットの世界だ。 『ホビットの冒険』が岩波少年少女文庫から刊行されているくらいなので、瀬田貞二さんは、日本のこどものために楽しく翻訳されている。 同じ瀬田貞二訳でも『指輪物語』の重厚さとは一味も二味も違う。もちろん、それでいいのだ、ホビットはこどものための物語なのだから。 映画「ホビット」は、PJが先に「ロード・オブ・ザ・リング」を映画化し、彼の中つ国はすでに完成している。 「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビット」の間に大きな乖離が起きるはずもなく、あってはいけない。これはあたりまえだろう。 そこで映画「ホビット」は、原作(日本語訳としておく)の表現より、数段重厚にならざるを得なかった。 ここで、すでに映画「ホビット」は原作とは大きく離れていったと思う。 ひとつずつのデティールに、『指輪物語』とその『追補編』から読み解いた風味、中つ国の古い歴史、ビルボが未だ知りえないはずの暗黒との戦いが、薄紗のようにかかっている。一枚板の扉とおもっていたら、そこに壮大な物語が彫られていたと気づくような、感覚。 PJは、「中つ国」を、今回のホビットでもう少し色濃く表現しようとしているのかもしれない。 重厚さを膨らませた大きな違いの部分は、ドワーフの「憧れ」の部分である。 原作では、ただただひたすら、ドワーフたちは「失われた黄金」への欲求によって、また予言の成就によって、黄金奪還のために立ち上がる。 (このプロットは、まさにニーベルンゲンの指輪の主題でもある、黄金と小人。) 映画「ホビット」のドワーフは、まずは故郷喪失、王国の滅亡、一族離散につづく困窮の年月を過ごしてきた。 誇り高きドワーフ王家の末裔トーリン・オーケンシールドは、一族を安全に暮らせるよう導いた立派な指導者でもある。 が、彼のなかには、祖父と同じ黄金への欲求と同じくらいに強く、ドワーフの栄光復活への切望がうずまいている。 復讐心と誇り(トーリン役のアーミテイジもマクベスであると言及していた)というトーリンの性格付けが、「ホビット」を重厚化させている、と第一部では特に感じられた。 この動機付けが、さまざまな波紋を呼び起こしていくのだ。 13人の統領としてのゆるぎない尊敬の獲得もそうだが、トーリンと対することで「ホビットとしてのビルボ」の性格、性質、位置がはっきりしていく。 ほぼ原作どおりの進行でありながら、この重厚さによって、映画「ホビット」はやはりPJのものである。 さて、日本語吹替えで楽しめることのひとつに、「言葉遣い」がある。 トーリンの「貴様」は武士の武張ったよびかけであるし、アーケン石を「山の大御霊(おおみたま)」としたところが、私はとてもいいと思う。 (だいぶびっくりしたけどね、大御霊w) 実際、ドワーフ13人全員が腕に覚えがある戦士ではない、が信義(ちょっと黄金w)で固く団結していくところなんぞは、日本人の大好きな「忠臣蔵」じゃないですか?(笑) トーリンは大石内蔵助?(笑) 日本語吹替えは、情報量の多さも魅力だけれど、美文調の語り口で、より「重厚さ」を実感できる。 それにしても感想が尽きなくって、本当に冒険に遅れるね、これじゃ・・・ |
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by crann
| 2013-01-15 17:33
| cinema・映画
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中つ国へ、ふたたび!【ネタバレ】 |
懐かしい中つ国におかえり!で始まる、映画「ホビット」のプロローグ。 映画「ロード・オブ・ザ・リング」(邦題/原題The Lord of the Rings)でPJ監督が描いた「中つ国」Middle Earthに馴染んだ目には、とても懐かしく映る。 映画Lotr三部作に賛否両論、否が大勢をしめてしまったこともあった目にも、ホビット庄の緑の丘は懐かしく美しくリラックスして迎えることができた。 この感想は、ひさしぶりの指輪オタクとしてネタバレ全開だが、Lotrとも密接にかかわる映画「ホビット」のサウンドトラックについても並行して、自分のためにも記録しておく。 老ビルボは、Lotrのサー・イアン・ホルム。フロドもそのまま、イライジャ・ウッド。 「ホビット」はLotrの発端から60年前の物語であっても、現実の俳優たちには8年の歳月がたっているにも関わらず、みんな若くて生き生きとしている! Lotrで驚かされた、ニュージーランドWETAスタジオのCGI(笑)にはびっくりする。 ただし、ガンダルフのサー・イアン・マッケランはどうしも声が、サルマンのサー・クリストファー・リーの朗々たる響きも、老いが感じられてしまった。二人ともお年を召したなあ。。。 (そうそう、三人もサーが出ている映画ってのもすごいw) その点は、吹替え版はガンダルフもサルマンも、力あふれる魔法使いらしさなので、おすすめ。 老ビルボは、自分の冒険物語の導入を語りはじめる。 音楽はホビットでは、特にLotrから続く様々な動機やテーマを物語っている。 Lotrでのサントラ、指輪の仲間のテーマ、Rotkの旅の仲間の帰還でゆっくり乾杯するところの旋律に柔らかいトライアングルを使って谷間の国の在りし日の姿。 ドワーフのテーマが入り、エレボールの美麗さを。 災厄のおとずれの動機がおこる。 映像では谷間の国に高々とあがる凧が強風に煽られるところに、ドラムが凶事の前触れとなっている。 *この凧、竜、亀、翼竜?(プテラノドン)風と3つあるのだけれど、これって、PJの怪獣映画へのオマージュか もしれないなと思った。 竜=ゴジラ、亀=ガメラ、翼竜=キングギドラ(笑)。 姿はいっさい見えず巨大な災厄であるスマウグの爆裂炎が谷間とエレボールを一掃する。 *これも、ハリウッド版ゴジラが最初は全形を見せなかった演出に似ているかも。 トーリンは若々しく、力強く、由緒正しい高貴さがあってとてもいい。 ドワーフ女性(髭あり?)と噂できいていたけれど、谷間の国の市で人間男子に織物を見せているゴージャスな小さめ小太り女性たちがドワーフレディじゃないか? エレボール脱出のときも遠目ながら、ドレスの女性たちが走るのが見えたけれど、髭の有無がいまいち目視できず。 壮大な滅びの物語から、ホビット庄の緑の丸ドアの前で老ビルボは回想する、ある日こうしてパイプを楽しんでいたら突然ふってわいた冒険のことを… そこから、我ら(笑)がジョン(SHERLOCKのジョン・ワトソン役w)、マーティン・フリーマンの若きビルボが登場。イアン・ホルムとの流れがとてもいい。 ジョン(笑)ビルボは、老ビルボと同じような「田舎紳士」ふうの衣装がとてもしっくりし、若いくせにやたら分別くさい顔をしている。衣装のホビット穴に溶け込んでしまいそうな、自然な色合い。どこもかしこも、イギリス男子くさい(笑) ホビット庄のテーマ、コンサーニングホビットは、さらに軽快なリズムで楽しさを刻んでいる。 そこに不思議な人間の老人があらわれる。 ガンダルフの登場である。 とんがり帽子、少し煌いているマフラー。このマフラー、スカーフはLotrにはなかったものだ。 さんざんな問答になるところは、原作どおり。 夕食の準備をしているところへ、呼び鈴が鳴る。 ビルボの食卓には、塩入れ(富裕層の象徴)がある。さすがバギンズの旦那である。 が、塩をふった鱒のバタ焼き(だと思うけど)はビルボの口には入らず… まずドワーリンが訪れ、一番乗りの一番槍(笑)でドワーリンが平らげてしまう。 次はドワーリンの兄、バーリン。 体を半分向こうへむけていて、ドアがあくとこちらを向く、バーリンの登場はとてもいい。 ドワーリンとバーリンが兄弟仲良くパントリーを漁るところも、とても楽しい。 *この後、フィーリとキーリの、この映画では「美形」に入る若者ドワーフ兄弟が来るのだが、この二人はとて も礼儀正しい、が、ドワーリンには「ミスター」「殿」がつくけれど、バーリンにはつかない。 もしかしたら、バーリンは彼らの親代わり(代父とか名づけ親とか)なのかもしれないなと思ったり。 全員が集合して、ビルボのパントリーはすっからかんになってしまう。 ドワーフの楽しい合いの手にのって、エダムチーズらしき大玉チーズ×3、小さめトマト(ミニトマトとトマトの中間くらい、黄色いのも赤いのも。これが少し皺よっているところが、いかにも貯蔵庫のものらしい。)、ボンレスハム(これはスライスされてテーブル直置き!なぜボンレスかというと、楕円形だったからw)、鶏もも骨つきもボンブールが残飯片付けしたときにあった。じゃがいもの茹でたの、人参のゆでたの、グリンピースも見えたので、イギリスパブ飯の豪快版である。 ただし、ドワーフは(ドワーリンとバーリン)、ブルーチーズは苦手のようでポイしていた。。。 そういえば、パントリーには玉葱やリーキらしきものもぶら下がっていたのに、最後はすっからかんだったので、ドワーフはなんと効率的に宴会パブ飯を作れる民族よ、と感嘆するわけだ。 (続くw) |
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by crann
| 2013-01-10 21:04
| cinema・映画
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